ロシアの民主主義は長い間絶望的に見えるし、実際国の意向に沿わない人間に対する弾圧はすさまじいものがあることは周知のとおりだ。
だが、そんな中でも戦争反対の声を掲げる人がいる。10月7日以降、アメリカでも日本でもイスラエルでも、世界中でFree Palastineを叫ぶ人がいるように。仮に体制と近い組織に属していたり声をあげられなくても、目に見えなくても、「良心を失いたくない」「21世紀に戦争なんて馬鹿げている」そう思う人たちが必ずいることを忘れないようにしたいし、もし連帯できる時は、有形無形の非戦反戦の声に連隊を示したい。
人生で向き合うこと、巻き込まれることが、こんなにも明確な人がいるのかと思うことがあるが、マリーナ・オフシャンニコワ(Marina Ovsyannikova)さんの場合はそれが戦争だった。 第一次チェチェン紛争で幼い頃、難民に。生活は一変し、40歳を過ぎてゼロからのスタートを強いられた母親の苦しむ姿を間近で見てきた上、本人もポリ袋を鞄がわりに学校へ行かざるを得ない困窮ぶりにいじめの標的となった。 難民のつらさを骨身でわかっている彼女が、大人になって仕事として紛争の続くチェチェンへ行く。2000年。第二次紛争の時だった。2003年、国連が第二次世界大戦以来、地球上で最も破壊された場所として、チェチェン共和国の首都具ローズヌイをあげた。 2022年のウクライナ侵攻のニュースと映像を観た彼女の戦争への怒りはピークに達した。そして、「戦争をやめろ!」と叫び、TVニュース収録中のスタジオ内でプラカードを掲げたのであった。 《NOWAR 戦争をやめろ プロパガンダを信じるな ここではあなたたちは騙されている ロシア人は戦争に反対だ》
このTV局「Channel One」に8年間勤めていたことを「恥じている」とのちに彼女はSNSに投稿した。彼女は私生活で離婚を経験、2人の子どもの成長を考慮して建てかけの家もあった。独立系メディアは複数あった。だがそれらは現在、政権に潰されている。彼女もまた民主主義が荒廃していく中、生活を人質に取られている1人に過ぎなかった。
2024年に出版されたこの本のまえがきで、彼女は街頭での抗議に出られるような団結させられる力が、ロシアにはもう存在していないという。そのような最後の存在だったナヴァリヌイ氏の死から1年が経とうとしている。そして、フランスのマクロン大統領、国境なき記者団などの協力によってフランスに亡命したとはいえ、彼女自身、何度も命の危険にさらされて来ている。
真っ直ぐ生きることは容易ではないが、彼女は自分の弱さも冷静に見つめ、隠さず、その上で大きすぎる人生のテーマと向き合ってきた。だからこそこの本は、力強いメッセージを放っている。
ロシアで、また世界中で、憤りと苦悩を抱える人々が生きている。生活を人質に取られながら、心の声を消さない、そんな人たちが生きている。
ここで、先日1度目の命日だったガザ・イスラム大学の教授で詩人だったリフアト・アライール(Refaat Alareer)さんの詩「If I must die」の一説がよぎる。
《私が死なねばならないなら あなたは生きねばならない》
戦争と侵略による犠牲は、いつになったらなくなるのだろうか。もしも、この詩の《死ぬ》を黙らされる、としたならば、この世界で黙らされる誰かの分だけ、戦争で犠牲になったものの分だけ、あるいは前線で戦わされて心を壊す人の分だけ、同じ世界の別の誰かが声をあげ、生きなければならない。
そうしてすべての声は継がれていき、まったく消すことは誰にもできない。まるでソウルで消えないろうそくの灯りのように。