純金融資産3億円達成と想定外と困惑

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最近、純金融資産額3億円に到達した。私の生活スタイルを前提にするなら、FIは盤石に感じている。ただ、想定外のことも多く、いくらか困惑もしているため、経過も含めて記録を残しておく。

経過

時期感想・感覚
0円就職した直後、正確には全財産4000円ぐらい失うものは何もなく、ギリギリ就職できてセーフ!ぐらいの感覚。一応、金持ち父さん貧乏父さんを読んでいつかは早期リタイアしたいという目標は持っていた。
100万円仕事を始めて1年後くらいいつの間にか溜まったが、達成感や何かが変わった感覚は全くなし。これぐらいでは証券投資でのリターンもしれているし、不動産投資も難しいしで手詰まり感。当面仕事頑張るしかないかと割り切って投資は当面放置。
1000万円たぶん結婚して1年後、20代後半くらい記憶にすらない。何も変化なし。仕事に全力投球を続けており、自己投資の名の下に大量の本やデバイスを買っていた時期。
3000万円32歳過ぎくらい普通に働き続けていれば、あまりお金に困らないかもなぁと思い始めた。ここから妻の浪費が増えていく。
5000万円35歳くらい仕事が絶望的につまらない時期で、5000万円あれば極貧生活前提で仕事しなくても生きていけるのでは?と考え始める。極貧でリスクバッファがなさすぎる生活も嫌なので、いくらあれば良いか本格的に検討、証券のみによるFIREを考え始めた。家族全体での節約に向かっていく。
1億円40歳くらい1つの節目としてさすがに感慨はあったが、FIRE目標額にはまだまだ届かないため、あくまで通過点。生活自体は何も変わらず。
1.7億円44歳くらい当初計画していたFIRE目標額を達成。達成感はあったが、フルリモートで仕事が苦にならなくなっていたため若干持て余し始める。とはいえ、まだ安全とは言えない額なので当面バッファを積み増す方向で資産形成を続行。
2億45歳くらい知らない間に増えている。バッファが増えてちょっと嬉しいなくらいだが、インフレも本格化してるのでもはや金額に意味がないように思えてくる。
3億47歳知らない間に増えている。これまでの延長線上の生活であれば、インフレを考慮した上でも完全に資産運用だけで暮らしていける確信が持てるようになる。

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3億に到達して気付いた想定外

振り返りの最後にあるように、3億に到達した付近でようやく(?)完全にFIが達成された感覚が得られた。大学卒業前に「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで志した早期リタイア・FI(RE)に25年をかけて到達し、社会人生活の大きな目標を達成した。とはいえ…当初想定していなかったことがいくつもあった。

仕事が苦にならず、(FI)RE権を持て余す

大学卒業目前に早期リタイアを、そして30代中盤で改めてFIREを志した時にはあまりに仕事が苦痛だったのだが、まがりなりにも25年社会人生活を送り、専門スキル・対人スキルを磨き、その他仕事のさばき方や新たな技能の獲得方法を含めて広範な知識と技能を身に着け、様々な人脈を構築し、フルリモートと裁量労働制で時間と場所を選ばずに働けるようになった結果、ほとんど苦にならなくなってしまった。その結果、ようやく手にした完全なFIREの権利、特にRetire Earlyの権利を持て余すことになってしまった。

ストレスなく働けているのはFIによる心の余裕も大きいので、FIが無駄とはまったく思ってはいないが、どちらかといえば技能と環境の要因の方が現状は大きいため、こんなはずではなかった感がある。

収入の増え方に支出の増加ペースが追いつかない

FIを達成したので、この時点で既に資産収入だけで生活を賄っていける状態にはなっている。以下のように過去5年平均での月間投資収益はおおよそ180万円、確定利益である配当額だけでも税引前で30万円を超えている。

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さらに、投資収益だけでなく労働収入も変わらず発生し続けている。FI確信前までは資産形成中だったため、労働収入の余剰も投資にまわしていたわけだが、FIの確信が持てた結果これ以上資産形成を行う必要性がなくなってしまった。こうなると、資産形成のために投じていた月間投資収益の180万に加え、労働による収益まですべてが支出余力に変わってしまう。我が家の場合、妻も働き続けているため月間労働収入は税引き後で約120万円だ。

ここまで20年以上、資産形成のためにせいぜい家賃込みで月35万程度で暮らしてきたのだが、FIを境に投資収益と労働収入が支出余力になってしまったため、突如として毎月300万程度支出できる状態になってしまった。その落差、およそ10倍である。加えて、マーケットの好調さを差し引いても投資元本の増加や資産インフレの継続によって(一時的な調整は当然あるとしても)投資収益の増加は加速している。300万をフルに使ったとしても取り崩しはしていないため資産は減らないし、フルに使えなければその分資産増加が加速してさらにバランスが遠のいていく。この落差を健全に埋めるのは一朝一夕にできるものではない

住宅を買う意欲の喪失

バッファをある程度積み上げてきたのは、どこかで住宅を買うことを視野に入れていたことも大きな要因だった。実際、資産インフレで都内の住宅は値上がりを続けているため、都心の…特にマンションを買おうとすればいくらでもお金を使うことができる。しかし、最近親が他界して実家を引き継ぎ、そちらで年の3分の1程度を過ごすようになった結果、都心に高い家を買うかもしれない、という気持ちはほとんどなくなってしまった。東京に25年住んで飽きてきているとか、人が多すぎ、暑すぎでうんざりしているというのもあるし…賃貸とはいえ既に23区中心部のマンションで住んでいる状態から、都心の分譲マンションに引っ越したとして人生の体験が大きく変わらないことは深く想像しなくてもわかってしまう。

郊外の広大な一軒家で庭を自分なりに管理し、地元の人たちと交流しつつ、フルリモートを活かして多拠点居住する、というのは私にとっては新鮮な体験であり、ここでなら出来ること、やりたいことがたくさん残っている。この状態で、東京側の家を賃貸から分譲に変えたところで人生の体験として大きく得られるものがあるとは思えない。最悪の場合に住む場所としての持ち家も確保できてしまったため、わざわざ高い金を出して都心のマンションを買う気は(元々気が進んでいなかったが)完全になくなってしまった。東京拠点は賃貸で十分、本音を言えばホテルでも良いくらいだ。

こうして、住宅取得のために積んだバッファの意味が大してなくなってしまった。そもそも買うとしても、働き続けている以上は当然限界までローンを組むわけだしね…。

目標の喪失と価値観の解放

25年間大きな目標としてきたFIを達成してしまったことで、数値で管理可能な、わかりやすい大きな人生の目標が1つ消えた。これだけが人生の目標なわけではないのだが、人生を大きく変えるような、達成困難な大きな道標の1つであったことは間違いない。ここ10年の様々な行動の判断基準の中には、FIの達成の観点から見てどうなのか、という視点がいつもどこかに存在していた。ある種、価値観の1つになっていたと言っても良い。それがなくなった。

なくなったといっても突然金のことなんてどうでもいい!ばんばん使え!となるわけでもなく、個人的な嗜好・傾向としてミニマリスト的な部分、機能性や実利を求める部分、価値と価格のバランスを取る部分というのは持ち続けていたいし、これからもそうなるはずだ。とはいえ、こうした価値観に実利的な意味や枷としての役割がなくなったことも確かで、もっと柔軟に行動を決定できるし、そうすることで新たに出来ることもあるだろう。それを探しても良い…つまり自分自身の価値観に手を加えても良い状態になった。そして、それをどう変えるか…結局変えないのかも含めて…はまだ決まっていない

ロールモデル・同志の喪失

このように色々と迷いがあるため、現状は先達や同志と情報交換をしたい気持ちが強いのだが、まがりなりにもFIREを目指してきたこれまでとは異なり、FI後は一気に該当者が減ってしまうことに気づいた。

一時のブームが過ぎ去ってもFI(RE)を達成しようとする人たちは世の中…少なくともSNS上には溢れている。加えて、とにかく投資でお金を増やしたい株クラと言われるような人たちもいるし、もう少し穏健な資産形成コミュニティのようなものも(狂ったマネリテ勢を含めて)大量に存在している。彼らの価値観・目標・スタンスは少しずつ異なってはいるものの、少なくとも「ある程度効率よくお金を増やしたい」という部分では一致しており、共通の目標に向けて一定のコミュニケーションが成立していた。 しかし、FIを達成した後に気になるのはお金の増やし方ではなく、

  • 労働を続けるか?
  • そもそもこれ以上お金を増やすか?
  • 増やす意味はどの程度あるか?
  • リスクをどの程度取るか?
  • あふれるお金を意味ある形で使うにはどうすれば良いか?
  • そもそも意味ある形で使う必要はあるか?
  • どういった価値観の下に意味を見出すか?
  • 新たな価値観の下での価値と支出の対応関係をどう取るか?

といったようなことで、これらは各人が置かれた環境を含む固有の前提や、その価値観によって大きく異なる。価値観は資産形成中であるなら、ベースは支出を減らす、収入を増やす、利回りを増やすといったわかりやすいものに収束しやすかったが、FI達成後はこれらに大した意味はない。したがって、価値観は完全に自由で無限に広がってしまうため、参考になる程度に近い人を見つけるのですら著しく困難になってしまう。

価値観のことは棚上げするとしても、プロファイルが似通った人を探すだけでも困難を極める。同程度の資産額に到達している人であればそこらへんに転がってはいるものの、株クラの人たちは数字を増やすゲームを嬉々として続行している人が多いし、FIRE志望者は仕事を辞めてしまってパッシブ投資と節約に専念している人が多い。起業・事業での成功者は桁が違いすぎるし、高収入の士業の人とは労働に対する感覚が違いすぎる。大して高収入でもないサラリーマンで、投資で一発当てたわけでもなく、どちらかといえばコツコツ資産形成をして40代半ばで3億円になった私のような人は意外なほど数が少ないように感じている。実際、SNS上でも全然見つからない。

実際に概算で確認してみよう。いつもの野村の富裕層定義からすると、5億超が0.2%、1億超が約3%なので、3億だとおそらく1%強くらいと思われる。さらに、PBで働いていた人のイメージとしては、その中でのタイプ別の比率は以下のようになる。

image https://www.youtube.com/watch?v=yn1nunShrDw より

1%の中でコツコツ資産形成したタイプが20%以下となると全世帯の0.2%となり、この時点でかなり少なくなってしまう。さらに富裕層は大半が高齢者であることがわかっているため、同世代同境遇の人の割合だとおそらく0.1%以下、1000世帯に1人いるかどうかになってしまう。見つからないのも無理はない

せいぜい小金持ち程度でしかなく、いわゆる富裕層的な体験は難しい

これは想定外というより、元々興味はなかったものの、出来ることを調べていてわかったことではあるのだけど…やはり真の富裕層というのは世襲や起業家であって、チマチマ投資して3億5億程度ではそれまでと大きく異なる生活ができるとか、サービスが受けられるわけではない。

特に、PBやその付帯サービスを意味ある形で使おうとするなら、3億はギリギリ入口に立っているくらいで、実際は10億くらいは必要に感じた。付帯サービスだけを消費的にお金で買おうとするなら別に3億でも問題ないのだけど、それは単に背伸びしてステータスを買っているだけで、実利的な意味はあまりなさそうに思えた。そして、コツコツ資産形成だと直近で10億までいくのはさすがに厳しいし、名目値で20年後くらいに到達したとしても、その頃にはPBの足切りも倍ぐらいになっていると思われる。そもそも60過ぎまで資産形成頑張ってるかといえば甚だ疑わしい。

というわけで

1億の時にも区切りの感想をブログ(消えてしまったが)に書いていたのだけど、3億もある種の区切りと感じたので現状の率直な感覚を残しておく。方向性が固まるまではもう少し色々と考えることになりそうだ。

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