空に浮かぶ繭

@moja.blue

Blueskyの理念であるPublic Conversation(以下、p-Convと呼ぼう)を実践するためには、逆説的に〈孤独〉でなければならない。

書くことによってしか自己の存在を確かなものにできないソーシャルメディアにおいては、毎日阿呆のように“場”の参加者による精神的会話が続いている。

この精神的会話の最小単位は、その時々に文字を与えられ、断続的にタイムラインへ発現させられた“思いつき”だ。

Fireskyを眺めているとその実態が、いやがおうにも目に飛び込んでくる。そこには、無数のユーザーからのとめどない投稿が可読限界を超えた速度で流れ続けている。

フィードが流れ続けることは、ソーシャル・メディアの必須条件であるように思われる。これは、去年、何かのきっかけで「マイクロファイナンス制」(投稿するたびにごく少額な投稿料を徴収する)をUai(@why.bsky.team)さんに提案したときに「それでは投稿数が減ってしまう」と言われたことからも分かる。また、ActivityPubのとあるインスタンスを見ていても同様で、そこにはアクティブユーザーが5人くらいしかおらず、Botにニュースを流させることでソーシャル・メディアとしての雰囲気を保っていた。

好きではないことばに「タイムラインを汚す」がある。これは、フォローした相手が連投した結果、自分のタイムラインがその人の投稿で占有されることだ。結果として、その人はミュートされたり、フォローを外されたりすることもある。ミュートやアンフォローは局所的に発生するアカウントの“死”なのではないか。

私はつねづね、フォロー概念を別の何かに転換すべきだと考えている。一方で、ソーシャル・メディアの本質はノード間の接続の豊かさにあるとも考えているので、このような取捨選択によって、ネットワークの豊かさがスケール・フリー化することはもったいないと思う。ただ、読みたくもない他人の考えが絶えず頭の中に侵入してくることも非常に煩わしいことである。このアンビバレントに対するチューニングが必要なのだ。

p-Conv(覚えていますか? Blueskyが理念とする、Public Conversationの略です)が何かを考えたときに、それをヴァーチャルな社会性の視覚的な“演出”とすると現在のTwitterライクなインターフェースには限界がある。それは、猿の毛繕い的なたわいのない声の掛け合いを局所的な単位とする。局所的ということは、同期的であり、スクリーンを握りしめて、フィードの投稿を逐一チェックすることを要求する。また、スクリーンから離れた間に見過ごした情報の“復旧”も、社会的な行為に起因する。輪の中の“蒸気煙”《話題》から取り残されないようにするための社会的な行動だろう。未読投稿の先頭をピン止めするニーズの正体はここに帰着する。

与えられたUIで出来ることを考えたとき、目の前を流れるフィードをどう摂取するかという問いが浮かぶ。以前、Twitterはソーシャル・ネットワークではなく情報の発見と議論のツールである、とNHKのインタビューでドーシーが述べていた。2017年ごろのインタビューなので、Twitterは既にスケールしていただろう。そのころのTwitterはもはや、「ウンコなう」にいいねがつく、ゆるいコミュニケーションの場というよりは、ロングテール的に配信される情報を非対称的に消費する場であった記憶がある。

一方で、Blueskyについては、BlueskyがTwitterから段階的に生まれてデファクト・スタンダードになったスタイルを踏襲する姿勢に対して、与えられた道具を駆使してそれにあらがいたい気持ちが私にはある。コミュニティとメディアの端境《はざかい》をあいまいな形でたゆたっている今のBlueskyの状態には、まだあらがう余地が残されている。

これがやがて、ノードの増大に従って、インフルエンサーやエキスパートがスーパー・ハブとなり、それに消費者がぶら下がる非対称なネットワーク構造に収斂されれば、BlueskyはもはやTwitterと変わらなくなるだろう。杞憂なのかもしれないが、現にユーザー数は昨年とは比べものにならない数になっているし、“あちら”《X》で何かあるたびに、“こちら”《Bluesky》で祭りが起き、JayやPaulが能弁になる。

Blueskyの最大のアドバンテージはタイムラインが素直に時系列に並ぶことと、カスタムフィードがあることだろう。開発チームの英断は、今年、Followingフィードを特権的で固定的な位置から他のフィードと同様に出し入れ自由な存在に性質を変更したことだ。

これにより、私たちは、TwitterのUIでは実現できなかった、自己の自律や内省への没入とコミュニティやより大きなネットワークとの交渉を両立する「繭」を手に入れられるようになった。

「繭」(Cocoon)とは、独白的な投稿(自己内対話)を1日につきひとつのスレッドにまとめる行為である。このとき、自己内対話は1日単位のスレッドにまとめ、メディア化(=PRや拡散)させたい投稿は単独で投稿する。これによって、独白とPRを明確に区別することができる。それに対して、用がある人は、どの次元に対してもp-Conv(Public Conversation)することが出来る。何度も浮上してくるこの「繭」が目障りな人には「非表示」にする権利があり、用がある人は読むことができる。

繭のトップ投稿だけをリスト化するフィードをつくれば、それを書いた人間も後からその日の自分の思考の流れをトレースできる。さらには、このような投稿様式とそれをまとめるフィードを多くの人が実践することで、「繭」を他者の思考の流れでありながら、始まりと終わりのある単位として“購読”することが可能になり、その流れに“没入”することができるようになる。

ATmosphereに立ち現れたBlueskyでは、主観的に構築された幻の雑踏の中に自他の境界が曖昧になって漏れ出した声を投棄する“伝統的な作法”が可能である一方で、場の参加者が自分の繭をこしらえて、自分がそこにいた証を残すことができ、後からそこに訪れた人はその繭を解いて、それを紡いだ人が見ていた風景に自己を重ねることができるようになるのだ。

moja.blue
Nighthaven⛺︎

@moja.blue

Mandalorian, poet, mind painter.
https://publish.obsidian.md/saivo/site/Index

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