読書記録(24' May)

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2024年5月に読んだ本をまとめていきます。

リニア しょうへい『『M‐1』ラストイヤーなのに予選期間に入院することになった芸人の日記』

The Second の感想とまとめてnoteに記録した。

リニアしょうへい、君の涙は乾いたか|群 るな #note note.com/sqrt/n/n6287...

明日のBブロックライブに行きます。 #リニア #ハンジロウ #三日月マンハッタン

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— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Jun 4, 2024 at 23:43

森博嗣『ブラッド・スクーパ』

『ヴォイド・シェイパ』シリーズ第二巻。

師匠スズカ・カシュウの遺言により旅に出たゼンは、不老長寿の薬となる「竹の石」が取れる村に辿り着く。

庄屋の娘・ハヤの護衛を任されたゼンは、竹の石を奪いにきた盗賊団と対峙することになるが……

家同士の争いや喧嘩で刀を交えること。

不老不死というまやかし。

道理より命より名誉が優先されるのはなぜか。

今の世の中にも通じることがある。

斬り合いの場面では、緊張感とスピード感に圧倒される。

その場面を読んでいた時の心拍数をスマートウォッチで見ると、一気に跳ね上がっていた。

宮野真生子 磯野真穂 『急に具合が悪くなる』

哲学者・宮野と人類学者・磯野が交互に文章を送り合う往復書簡の形式で話が展開する。

宮野ががんが再発したことを「急に具合が悪くなるかもしれない」と磯野に伝えたことがきっかけで企画が始まったそうだが、終盤では宮野の体調が本当に悪くなる。

「かもしれない」という可能性だった死が「本当にやってくる」ようになった段階でも、宮野と磯野は言葉を紡ぎ続ける。

1人で書く文章と往復書簡の大きな違いは、二人のやり取りの中で話題が変化していくその流動性だ。

お互いの専門の話や、野球や格闘技の話。当事者と第三者としてのがんとの向き合い方。話題は大きな川の流れのように蛇行を繰り返す。

その流動性の中で、二人が根本的に難しく、面白いと考えているものが「偶然性の問題」だ。

統計学は「この病気が急に悪くなる確率」を説明することができるが、「この私がこのタイミングでこの病気になる偶然性」を説明できない。

偶然性は哲学の領域だ。そして宮野が20年以上研究してきた分野だ。

磯野が宮野に投げかけたこの言葉に呼応して、宮野にしか見渡せない景色を私たちに届けてくれたのだった。

宮野にしか紡げない言葉を記し、それが世界にどう届いたかを見届けるまで、絶対に死ぬんじゃねーぞ!

藤田尚志 宮野真生子 編『愛・性・家族の哲学① 愛 結婚は愛のあかし?』

『急に具合が悪くなる』の著者の1人の宮野が編者をしている哲学書。

古代〜近代の西洋・日本の「愛」について、人々がどう捉えていたか考察を深めていく。

特に興味深かったのは、「第2章 聖書と中世ヨーロッパにおける愛」だ。

聖書における愛とは、神への愛のことで、神を愛するように隣人や自分を愛するという日本人には全く馴染みのない感覚がある。

一言に愛といっても、時代や場所によって対象や形式が変わることが分かる。

坪内逍遥『当世書生気質』で、日本語でも可能な言葉をあえて英語に当てはめ(例. 快楽→プレジャァ、あらし→ストウム)、西洋文化を受け入れようとしていた若者たちの姿を描いているが、特に頻繁に用いられていたのが「ラブ/ラァブ」である。 その中の「一旦ラブした位なら、あくまでラブするがいいぢゃァないか」というのがやたらと癖になる。 恋愛相談を受けた時に「あくまでラブするのがいいぢゃァないか」とアドバイスしてみたい。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) May 18, 2024 at 12:16

斉藤幸平 『100分で名著 カール・マルクス 資本論』『ゼロからの「資本論」』『人新世の「資本論」』

一生懸命働いているのに豊かになっていく感じが全然しない。

そんな空気感が30年近く日本を包んでいる。

私は幸運なことに安定した職につくことができているが、労働がもたらす苦痛に耐えられず心身の調子を崩すことがある。

健康を害してまで得た貯金も、ただ増殖していくだけでなにも豊かになっている気がしない。

増殖させた貯金も、自分の意思に反して一瞬で消費させられる。

その一方で、安定した職につけず生活するのがやっとの人や、一人で子供を育てないといけない人がいる世界でもある。

私たちはなぜ一生懸命働いているのに豊かにならないのか。

資本論にそのヒントが隠されている。

著者の斉藤幸平は経済思想家で、マルクス主義の研究を専門としている。

斉藤曰く、マルクス主義は誤解されていると。

マルクス主義といえばソ連のレーニン主義のような国家が生産を管理する様式を思い浮かべるが、国家主導の共産主義をマルクスが推奨していたわけではなかったそうだ。

むしろ市民が一丸となって「共同体」「コモン」を形成し、共有財産を管理しながら持続的な暮らしを営んでいくことを推奨していた。

「各人は能力に応じて(与え)、各人はその必要に応じて(受け取る)!」

マルクスが『ゴータ綱領批判』で宣言した、マルクスが求める社会のありかたである。

理想論に聞こえるかもしれないが、斉藤は「3.5%」という数字を掲げる。

斉藤はハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究を引用し、 「3.5%」の人々が、人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わると述べる。

消費の都合のために生まれる労働や貧困にNOの声をあげ、私たち市中の人々で助け合いながら持続可能な暮らしを営んでいくことを望めば、きっと社会は変わるのだろう、と前向きに考えていきたい。

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