読書記録(Aug. '24)

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8月は夏休みがあり、旅行の移動中などたくさん本を読むことができて幸せでした。

今月に読んだ11冊の感想を記録します。


山崎ナオコーラ 『ミライの源氏物語』

山崎ナオコーラ 『ミライの源氏物語』と『マッドマックス 怒りのデスロード』を同時に見進めている。

源氏物語とマッドマックスの世界では、どちらも現代の社会規範からは外れたことが沢山起こるが、人が人を傷つけ、暴力で支配し、権力を誇示するのは、現代にも通じる人間共通の暴力性なのだと思う。 そんな世界の中で、支配に立ち向かい打ち勝つフュリオサも、支配から逃れ出家の道を選び取る浮舟も、支配を引き受けない姿に心動かされるのか、と思った。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 4, 2024 at 1:33

源氏物語を読む時に現代人が感じる違和感を切り口に、山崎ナオコーラが解説を入れていく本。

著者は大学の時に浮き舟をテーマに卒業論文を書いており、いつか源氏物語をテーマにした本を書きたいとずっと語っていた。

本書はその夢が叶った作品で、いつもの平易で論理的な文章が冴えわたっていて、山崎氏の代表作のひとつとして後世まで読まれるんだろうなと思った。

永野 『僕はロックなんか聞いてきた』『オルタナティブ』

永野 『僕はロックなんか聴いてきた』

ここ最近ネット番組で見ない日はない最強芸人・永野が書いた、主に90sのロックシーンについて語った本。 随所にパンチラインが出て読み応えがあった。 キッドAを聴いて「レディオヘッドは誰かに言われて聴くもの」とか、ナインインチネイルズを聴いて「埼京線に乗りながら、こんな思いをしているの俺だけだろ、って思う時がある」とか、曲を知らなくても雰囲気を感じれる描写力も素晴らしい。読み終わると切なくて、救われた気持ちになる一冊。

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— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 13, 2024 at 20:01

90年代のロックシーンについて書かれた本。

自分は、60年代のビートルズやローリングストーンズ、70年代のレッドツェッペリン、90年代のマイブラッティバレンタインやオアシス、2000年代のリバティーンズ、アークティックモンキーズを好んで聴いてきた。

80年代や90年代のハードロックやグランジにはあまり手がつけられていなかった、というか10代の時にレディオヘッドやニルヴァーナが重くて黒くて受け付けなかった。例外がスマッシングパンプキンスで、ボーカルのビリーの声が好きで『1979』や『Mayonaise』をずっと聴いている時期があった。

最近、永野のYoutubeチャンネルを見たことをきっかけに、リンプビズキッドやシュガーレイを聞くようになった。

グランジやハードロックはやはり重すぎて自分にはあまり合わないような気がしているが、リンプビズキッドの歌詞のバカさ加減が逆に笑えてきてはまっている。

シュガーレイは、アルバムのジャケットが古臭くてダサいような感じがするが、曲は爽やかで好き。

永野チャンネルに影響されて、昔よく聞いていた音源を聞き直すようにもなった。

今聞くとレッドツェッペリンの『移民の歌』がすごくよく聞こえる。

ニューヨーク『今更のはじめまして』

ニューヨーク 『今更のはじめまして』

芸人・ニューヨークの自伝本。 幼少期から2022年までに身の回りであったことや気持ちを赤裸々に綴った本。本人たちが言うように特に大きな事件もなく人生が進んでいく。 個性を売りにして活躍していく芸人が語るような強烈なエピソードはないが、都会や芸能人への憧れを持った青春時代の気持ちに共感できる人も多いだろう。嶋佐の「相方」について語る章がある意味驚くので、ぜひ読んでほしい。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 18, 2024 at 17:03

ニューヨークの自伝本。

今年の単独ライブを配信で見た。後輩たちの感想ラジオが面白かった。

近藤一博 『疲労とは何か』

近藤一博 『疲労とはなにか』 家事や仕事を頑張った時、私たちは「疲れた」と感じる。インフルエンザやコロナにかかったとき、倦怠感やだるさが取れなくなることがある。うつ病の罹患者は強烈な倦怠感に襲われてベッドから起き上がれなくなることがあると言う。 「疲労」とは、日常的なものから生活を脅かすものまで幅広く関連するが、その発生原因については近年までよくわかっていなかった。 その大から小までの「疲労」の発生原因にウイルスが関係していることが近年の研究でわかってきた。本書は、ウイルス研究の専門家であり、疲労の発生原因を特定した研究者による、「疲労」と「ウイルス」研究に関する入門書となっている。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 4, 2024 at 19:14

どんな事象の発生にも道理があるはずだが、そのメカニズムがわかっているものは多くない。

一般に身近な感覚である疲労についても、私たちが知っていることは少ない。

この本は、疲労とウイルスの意外な関係について、専門外の人にもわかりやすく書かれていて面白かった。

倉本圭造 『日本人のための議論と対話の教科書』

倉本圭造 『日本人のための議論と対話の教科書』 近年、あらゆるところで分断が進んでいて、政治や社会、SNS上に広がっている。お互いの陣営の「ベタな正義」を押し付け合うだけで一向に解決に向かわない状況に対して、一歩引いた「メタな正義」を持って、地道に議論を進めることの重要性を説明する本。 中小企業の経営コンサルタントをする著者の経験談で、「現場的には慕われている」が「仕事上でパワハラ的な態度をとる」役員に対して、現場や本人の存在意義を尊重しつつ毎年の面談で徐々に権限を小さくしていったクライアントが、ベタ(パワハラなんてダメだ!)とメタ(役員には役員の存在意義がある)の良い例になっている。

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— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Jul 25, 2024 at 13:33

例えば、君と僕の間でどうしても意見が一致しないことがあったとしよう。

お題はなんでもいい。「パスタを食べるのは箸かフォークか」とかでいい。

フォーク派の僕としては、パスタの祖国であるイタリアではフォークを使って食べるし、麺を巻き取ることで一度に口に頬張ることができるのがフォークの良いところだと思う。

箸派の君が言うには、日本人は箸の方が使い慣れていて、パスタの具材を食べる時に融通が効くことと、麺はすすった方がつるっとして美味いらしい。

僕からしたら、イタリアンはイタリアンの伝統にしたがうべきだと思う。 それと箸が使いやすいというのも一概には言えなくて、子供はフォークから先に使えるようになるので、誰でも使いやすいフォークを使ってパスタを食べるべきだと思う。

僕は止めたのだが、過激なフォーク派連中は『洋麺屋 五右衛門』を襲撃し、勝手に箸をフォークに替えてしまった。

箸派が「フォークで具材をちまちま刺している時間が一番無駄だ!!」と連呼し、箸派の恨みを買ったフォーク派が「パスタをすするなんてありえない!!」と糾弾するような状態が常態化し、お互いの意見に聞く耳を持たなくなり、分断が深まってどうにもならなくなる。

……というのは冗談だが、こういった対立は現代社会でよく見られる光景なんじゃないだろうか。

著者はそういったそれぞれの正義と正義の対立に対して、「物事ってそんなに簡単に白黒付けられるんだっけ?」と疑問を呈し、全員が幸せになれる方法を探究した結果、「メタ正義感覚を持って議論をする」ことが重要だと気づいた。

メタ正義感覚とは何だろうか。著者の言葉を引用する。

「立場を超えた対話」による具体的な解決を模索するセンスを、私は「メタ正義感覚」と呼んでいます。

本書の狙いは、社会の中で何かを変えていくプロセスを、平成時代の「抵抗勢力をぶっ壊せと叫ぶ方式」よりも「あと一歩丁寧に」行うことで、「改革によって排除された存在」が恨みを溜め込んでありとあらゆる細部で邪魔をしてきて、どこにも進めなくなるような事態を招かずに済む、そういう方法を示すことにあります。

自分の言葉でまとめるなら、メタ正義感覚とは「対立する立場の存在意義を認め、その上で問題を色々な角度(社会構造や将来性、法律、技術、コストなどなど)で検証し、こちらの要望が通るようにゆっくりと相手の存在意義を新しいものに置換していく」といったようなものだろうか。

この本は議論の教科書と言いつつ、「こうすれば必ず上手くいく」というような方法論を示しているのではない。

メタ正義感覚に代表するように、異なる立場間で起こる問題を解決に向かうための「心構え」のようなものについて説明しているような本だ。

最後に、パスタは箸かフォークか論争に終止符を打とう。

麺類を食べるのに最も適しているのは、フォークとスプーンが一体となった通称『スガキヤフォーク』なのであった。

森博嗣『スカルブレーカ』『フォグ・ハイダ』『マインド・クァンチャ』

森博嗣 『スカル・ブレーカ』 山の中で育てられた剣士ゼンが、育ての親であり剣の師匠であるスズカ・カシュウの死により、山を降りて旅をするシリーズ3作目。 城下町に辿り着いたゼンは喧嘩の仲裁をすることになる。喧嘩を持ちかけられたヤナギと、それに助太刀する形になったゼンは、城に仕えるゾーマという侍に不本意ながら連行され、殿様に会うことになるが… というストーリー。 シリーズ過去作でお馴染みのノギや、本作で登場するヤナギとの関わりによって、ゼンの考え方が変化していく様に注目したい。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Jul 26, 2024 at 16:12

森博嗣 『フォグ・ハイダ』 山の中で育てられたゼンが、育ての親であり剣の師匠であるスズカ・カシュウの遺言により、山を降りて旅をするシリーズ4作目。

寒さで息が白くなる季節に峠を超えていたゼンは、盗賊と侍の2人組に襲われる。侍は相当の腕前と察したゼンは、盗賊を斬り退路を見出そうとする。自分と侍との力量の差にいよいよ死も覚悟するゼンだが、盗賊の死は免れないと知った侍は、ゼンと斬り合う義理がなくなった、とその場を去ってしまうが…… というストーリー。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Jul 31, 2024 at 9:38

森博嗣 『マインド・クァンチャ』 山の中で育てられたゼンが、育ての親であり剣の師匠であるスズカ・カシュウの遺言により、山を降りて旅をするシリーズ最終巻。

季節は晩冬。都を目指しているゼンは、都近くの小屋に野宿をしていた。そこへ数十名のサムライが突然現れ、ゼンは囲まれてしまうが…

プロローグから怒涛の展開が繰り広げられる。剣の道、ゼンの道の終着点は如何に。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 9, 2024 at 8:37

森博嗣の剣豪ゼンのシリーズ、3,4,5巻。

(この先ネタバレがあります。)

ついにゼンとの旅が終わった。

行く先々での攻防により、ゼンの剣の筋がどんどん変わっていく様が面白かった。

初めは、人を切ることに迷いがあり、なるべく人を切ることを避けたり、自分より強い敵に対しては戦う前から戦闘を回避することを考えていた。

その姿を『ハンターxハンター』のキルアと重ねて見ていた。キルアもハンター試験の頃は恐れ知らずでネテロ会長も本気を出せば倒せると考えていた。念能力を知った後のキルアは、自分より強い相手と向かい合った時無意識に逃げるようになってしまう。実は、その無意識レベルの逃走本能は、兄のイルミに仕組まれたもので、最後には自分の逃走本能を乗り越えて、さらに強くなっていった。

マインド・クアンチャで、ゼンは全ての記憶を失う。

もともとの考えすぎてしまう性格も変容し、自らの剣に自信を持つようになる。

さらに人を斬った感触や、守りきれなかった仲間、負ける恐怖心も忘れてしまい、最終的には都で一番強い武士との対決に勝ってしまう。

師匠のカシュウから「考えるな」と教えられてきたゼンが、記憶を失うことでついに最強になる。

この小説が持つ最大の魅力は、ゼンの剣美しさだと思う。

その美しさが何から来ているかというと、自分の追い求めるものに命すら惜しまずに近づいていく信念からだと思う。

剣と剣が向かい合い、一瞬の刹那に切り込み合う。

相手よりもより速く、正確に刀を振ることだけにゼンが集中する瞬間、剣とゼンの存在が重なったかのように感じた。

現代の世界でも、アスリートがコンマ1秒のタイムを縮めるために人生をかける姿や、アーティストが自分の人生を削って作る作品を見ると、その美しさに圧倒されることがある。

そういった、人生を凝縮した美しさを見た時に、人は感動するのかもしれない。

森博嗣 『お金の減らし方』

森博嗣 『お金の減らし方』

昨今、お金の増やし方について発信するコンテンツが増えている。しかし、お金というものの本質は「価値との交換」にある。いくらお金を増やしたとしても、自分が満足できるような「減らし方」を知らなければ、結局のところ損をしてしまう。 自分がどうやってお金を減らし、どうやって満足できる価値を得られるか、を考えるきっかけを与えてくれる一冊。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 12, 2024 at 17:57

森博嗣のお金に関する本。

「お金は欲しいものを手に入れるための媒体であり、増やすのではなく、減らすことを目指さないといけない」というようなことが書かれている。

仕事との向き合い方や、自分の欲求との向き合い方を再興させられる本だ。

この本の中で最も心に残った部分を引用する。

自分の感情、信念、習慣のようなものに囚われないことが大切だ、と僕は感じている。いつも「自分はこう感じるのか?」という疑問を持つこと。自分の判断を疑う目を持つことにしている。

自分の向いていることを人は案外自覚できない、ということを言っている章の中で書いている言葉だ。

人は自分の考えをなかなか曲げることはできない。

その人が長く触れた思想や環境を変えることを好まないからだ。

何か物事を決めるときに、一旦冷静になって情報を整理してみたり、他人から意見をもらうことが重要だ。

森博嗣 『Dog & Doll』

森博嗣 『Dog & Doll』

森博嗣の音楽エッセイ。 森氏の著作はそこそこ読んできたが、音楽好きとは知らなかった。というのも、森氏は固有名詞をほとんど覚えていないためである。 本エッセイはテーマが音楽のエッセイ史上、最も固有名詞が少ないのではないだろうか。 真空アンプや作曲のエピソードは如何にも森氏らしく、仕事中に音楽を聴いているのは意外だった。 ブルスコで見て知れて良かった。 続編も購入予定。

— Luna MURE (@mureluna.bsky.social) Aug 18, 2024 at 17:08

森博嗣の音楽エッセイ。

森博嗣のエッセイの中ではかなり前のめりに書かれている気がしていて、意外だった。

なぜ意外だったかというと、森博嗣の小説やエッセイで音楽系の固有名詞が出てきた記憶がほとんどないからだ。

ちなみに車やパソコン関係の固有名詞は割と出てくる。

小説を書くことと、自分が好きなことを書くというのは、森にとっては違う作業なのかもしれない。

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